14.3.17

第7回 「聞く」は能動的


小島
よく「本を読むときは批判的に読みなさい」みたいなのがでてくるじゃん、疑ってかかりなさい、みたいな。オレはなんかそれ違うんじゃないかなって思ってて。

――
おー、はい。

小島
まずはその人の言っていることを100%信じて、最後まで読んでみる。読んだ後に自分で考えて、心地よいかとかを思うようにしないと、最初から批判的に読むって、対人関係にしたら失礼だし。

――
そうだよね。読書は作者との対話ともとれるもんね。

小島
そう。それこそエリート的な考え方っぽいよね。エリートだと自分が全部知ってるから「それ違うよ」とか言いたくなるけど、やっぱりそれって腹立つし。一回は受け入れる。受け入れたうえで「ここは違う」って。

――
そうかそうか。そのプロセスは大事かもしれないな。





小島
人と話してるとやっぱりそれってなかなか難しくて。違うって思った瞬間「それ違うよ」って言いたくなっちゃうけど、本だったら違うって思っても、読みすすめようと思えば読みすすめられるし。そこのある種の修行じゃないけど。

――
なるほど。「批判的に読まない」というのは今日のキーポイントかもしれない。
作者がしゃべってるときに「それ違うよっ」とか言うのは(笑)。

小島
すっげぇ腹立つ(笑)。失礼すぎる。





――
今オレが思ったのは、人の話で申し訳ないんだけど、糸井さん矢野顕子さんとの対談のなかで「犬や猫はかわいがらせてくれる」っていうようなことを言ってたんだよね。だから好かれると。本を読むことって、みやぎが「修行」って言ったように、その能力を伸ばすのにはいいのかもしれないね。

小島
はいはい。

――
というのも、みんな「オレの話を聞け」っていう部分があって、本はその「オレの話」だから。

小島
そうね。それはあると思う。

――
だから「いじられ役」はみんなから好かれるのかもね。「いじっていいですよ」っていう。「ぶりっ子」もその部類かもしれない。

小島
たしかにね。この前の会社の副社長かな、としゃべってて、「最近の若い人は」っていうのはオレあんまり好きじゃないけど、最近の若い人は、自分の考えを表現するのは、昔の人に比べて上手になったけど、逆に人の意見を聞くのは、圧倒的に下手になってる、って。
Twitterもそうだけど、SNSって自分の意見を言うのにはいいけど、相手の話を聞くことにはあんまり貢献していないっていうか。そのことは言ってたね。

――
そうかぁ、SNS。





小島
だし、自分の話ばっかりしてるやつってつまんないし(笑)。一緒にいて本当に面白くないし。

――
そうだよね(笑)。それと同時に「うんうん」うなずいているだけも違う。話を聞いた後に「私はこう思います」っていうのを、自分で持てるっていうのも大事だね。

小島
心理学でよく言う「Yes But 法」みたいな。一回は相手のことを受け入れて「だけど」って言うと、相手は受け入れてくれる。相手のことを受け入れずに「違うよ」って言うと受け入れてくれない。

――
そうかそうか。
話を聞く練習。たしかに本は役立つかもしれないね。

小島
と思うよ。オレはね。聞く力は発達すると思う。椅子に座って人の話を延々聞くって、なにか自発的にならないときついし。

――
あぁ、本を読むには能動的にならないとできないのか。

小島
能動的でないと絶対本読みたくならないから。これが本を読む人が少ない原因ではある。

――
なるほどね。なんだか納得しちゃった。「聞く」っていう行為は、実は能動的であるべきなんだ。

小島
学校の授業がつまらないのは受動的だから。

――
そうか。これはいい話かもしれないよ。





小島
ゲームとかネットは受動的でいても楽しめるんだよね。待ってりゃおもしろいものがどんどん来るし。だからネットとかのほうをみんなやっちゃう。

――
受動的な方が楽だもんね。疲れない。

小島
エサをとりに行かなくてもエサがどんどん出てくるんだよ。

――
そうかそうか。でも本当はエサを獲りに行く楽しみがあるんだよね。エサが獲れた時のうれしさ、それを食べるときのおいしさ。

小島
トラだって動物園入れられちゃったら毎日寝てるんだもん。そうなっちゃうのは仕方ないんだよ。エサあるし安全だし。

――
そうだね。そう考えれば確かに読書は狩りだ。本屋っていう狩場があって、幾ばくかの自分の財産を投じて狩るわけだもんね。リスクはある。





小島
そうそう。
ひとつ思い出したんだけど、本を読まない人からすると「そんな本読んですごいな」みたいなのがあるけど、別に自分の中では努力とかそんなこと思ってないし、無理やり読んでるとかもないし。歯磨きをするかのごとく本を読んでる(笑)。

――
「努力」って周りからの見え方みたいなところはあるもんね。

小島
この『努力論』のなかで倖田露伴も言ってるけど、自分で「努力してる」と思ってる時点ではまだ努力じゃない。それをやるのが当たり前になってきてやっと努力してるって言えるから、そこの領域までまずは行け、って。





――
そのとおりだよね。

小島
あともう一個思ったのは、イスラム文化のことを学んで、アラビア半島とかあの辺の土地的なことと対比して日本を考えたときに、やっぱりこれだけ水とか豊かで一年を通して快適に過ごせる国だし、隣の国と国境を接してるわけでもない。一生ここで暮らそうと思えば暮らせる。そういうめちゃくちゃ恵まれた環境に日本人は生まれちゃってるから、そこでなにか変わろうとかする努力って、なかなか生まれづらいのかもしれないと思って。

――
うんうん。





小島
特に今は物質的に恵まれてる時代だし「このままでいいや」と思えば最後まで生きられるから。だけどそのままだと日本はだめになるだろし、そのなかで変えていこうとする人とかが出てこないとよくないから。
だからひょっとしたら、福沢諭吉が『学問のすゝめ』を書いた時代と、今は似てるのかもしれない。

――
あぁ。

小島
あの頃もたぶんみんなが豊かになってきた時代で、武士もいなくなって。だからトランプが大統領に決まった瞬間に、オレは『学問のすゝめ』を読んでてすごい縁を感じた。今までアメリカの言うことを聞いてればとりあえず大丈夫だったけど、今はもうそんなに日本にはお金かけないって言われてるし。アメリカからちょっと距離を置いた時に、日本だけで世界と渡り合っていくためには、やっぱり国民一人ひとりがちゃんと考えて行動しないといけないなっていうのは思った。

――
「国が自立するには...」ってやつだね。

小島
そうそう。だからある意味では今回トランプに決まったことは、日本にとってはチャンスだと思ってる。

――
なるほど。「かっこいい国」への第一歩になるかもしれないね。


――
そろそろ時間だね。あー、おもしろかった。今回もどうもありがとうございました。

小島
はいはい。ありがとうございました。





《おしまい。》
お付き合い、どうもありがとうございました。

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